2023年シーズンをもって、読売ジャイアンツの原辰徳監督が退任、来シーズンからは阿部慎之助新監督がチームを率いることとなりました。捕手出身監督は成功しやすいという噂もあるのですが、本当でしょうか?
今回は歴代の捕手出身監督の成績などを紹介しますよ。
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プロ野球における捕手というポジションの特異性について
捕手のプロ野球監督が成功しやすいといわれる理由、及びそのイメージは、プロ野球における捕手というポジションそのもののイメージに起因しているものと思われます。捕手は、相手の打者の特徴などを把握し、配球を組み立て、投手にサインを出す司令塔的ポジションであり、投手のみならずバックを守る野手陣に対しても守備位置の指示を出したりもします。作戦面において、どれだけ捕手主導で行うかはその捕手によってまちまちだとは思いますが、とにかく捕手は全てのポジションの中で最も頭を使うポジションであり、故に監督適正も高いのではないかと思われているのですね。
捕手出身監督は本当に成功している?
では、ここからは過去の捕手出身監督の成績を見てみましょう。
野村克也
捕手出身監督の代表的存在が、野村克也さんです。捕手として三冠王を達成するなど、選手としても球界有数の名選手だった野村さん。監督としても4球団、合計24シーズンを戦いました。南海ホークス7年(選手兼任監督)で一度、ヤクルトスワローズ9年で4度の優勝を果たし、ヤクルトでは3度日本一にも輝きましたよ。一方、1999年から3年務めた阪神タイガースでは3年連続最下位に沈み、2006年から4年務めた東北楽天ゴールデンイーグルスでも最初の3年はBクラスでした。
「捕手=名監督」のイメージを作り上げた
とはいえ、当時のイーグルスは2005年に創設したばかりの新米球団。寧ろ、2009年に2位、チーム初のAクラスへと導いた功績が大きく、野村さんは退任後もチームの名誉監督に就任しています。これだけ長く、複数の球団で監督をする人も珍しく、いかに監督としての野村さんが評価されていたかが分かりますよね。
森祇晶
続いて紹介するのが、森祇晶さんです。ジャイアンツのV9時代の正捕手で「V9の頭脳」の異名を取り、監督としては西武ライオンズで9年、横浜ベイスターズで2年戦いました。森さんは西武時代の戦績がすさまじく、なんと1986年から1994年の監督期間で、1989年の3位を除いて8度のリーグ優勝、6度の日本一を達成したのです。ベイスターズ時代は結果を残すことはできませんでしたが、これほどまでに好成績を残した監督というのも、森さんの他にはそうそういないでしょう。
梨田昌孝
続いて紹介するのは、梨田昌孝さんです。近鉄バファローズ一筋で17年間捕手としてプレー、2000年に近鉄監督に就任し、そのまま近鉄最後の監督となった梨田さん。その後2008年から2011年まで北海道日本ハムファイターズ、2016年から2018年までイーグルスで監督を務めました。優勝は2001年と2009年に1度ずつ、複数球団での優勝を果たしたのですね。特に2001年は、前年に20ゲーム差で最下位に沈んだところから優勝を果たしています。
監督として結果が残らなかった名捕手も
歴代の名捕手としてよく名前が挙がる古田敦也さんは、2006年と2007年にスワローズで選手兼任監督としてチームを指揮しました。しかし2006年は首位と18ゲーム離されての3位、2007年は最下位に沈み、引退と同時に退任。以降監督は務めていません。同様に名捕手と名高い谷繁元信さんも、中日ドラゴンズで2014年から2016年まで監督を務め、4位、5位、6位と結果を出せませんでした。
そもそも監督の力だけではどうにもならない
「グラウンドの詐欺師」の異名をとった曲者キャッチャー、達川光男さんは、カープで1999年、2000年と監督を務め、いずれも5位に。以降監督は務めていません。2022年までタイガースで監督を務めた矢野燿大さんもかつては名捕手として名を馳せましたが、監督としては2019年から2022年で4年連続Aクラスだったもののついぞ優勝は成し遂げられませんでした。もちろん監督の采配のうまさなどで年数試合の勝ち負けの変動はあるかもしれませんが、結局はチーム力があるかどうかの方がはるかに大切、チームの順位だけで監督としての能力を測ることはできないとも思いますね。
最後に
今回は捕手出身監督の監督成績などを紹介しました。
ジャイアンツ初の捕手出身監督となる阿部慎之助監督。二年連続Bクラスに沈んだジャイアンツを立て直すことはできるのでしょうか?