名俳優・千葉真一の生涯とは?息子たちとの関係も徹底調査

日本を代表するアクションスター、千葉真一さん。2021年8月19日、82歳でその生涯に幕を閉じました。

今回は千葉真一さんの生涯について振り返ります。

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器械体操でオリンピックを目指す

1939年に生まれた千葉真一さん。中学から始めた器械体操でオリンピック出場を夢見るようになり、高校三年生の時に全国大会優勝を達成。しかし日本体育大学進学後に、練習での失敗から「一年間運動禁止」の傷を負い、選手を続けることが難しくなってしまいます。学費を工面できずに退学した千葉真一さん、しかし器械体操の経験が珍しがられたことからアクションスターへの道を切り開きますよ。

1959年に東映へ入社

東映第6期ニューフェイスを受験し、2万6千人の応募からトップの成績で合格を果たした千葉真一さん。1959年に東映へ入社し、1960年にテレビドラマ「新 七色仮面」で主演デビューを果たすと、1962年にエランドール賞を受賞、1963年には「男一匹生きるなら」で歌手デビューも果たしました。1968年のテレビドラマ「キイハンター」ではスーパーアクションを披露し大人気に。「千葉ちゃん」の愛称で国民的アイドルのように親しまれるようになりましたよ。

格闘物で活躍

1969年の映画「日本暗殺秘録」では同年の京都市民映画祭で主演男優賞を受賞、1973年には「仁義なき戦い 広島死闘篇」でシリーズでも大人気のキャラクター、大友勝利を演じ、以降はスタント、空手道、拳法、器械体操などを活かしたアクションシーンが魅力の作品に沢山出演するように。1974年の主演映画「激突!殺人拳」はアメリカでも公開、日本映画として初の興行収入100万ドルを記録しました。千葉真一さん主演のカラテ作品は世界的にヒットした物も多くあり、千葉真一さんの人気は日本に留まりませんでしたよ。

日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞

1978年からは本格的に時代劇に進出、「柳生一族の陰謀」では第2回日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞しました。1979年には芸能生活20周年記念作品となる映画「戦国自衛隊」で主演、更に日本映画初のアクション監督を兼務し、同作での演出が評価されたことから1980年のブルーリボン賞を受賞しました。その後も自ら映画を企画したり、アクション監督を務めるなど、プロデュース面でも活躍。1990年にはプロデューサーと初の監督を兼ねた映画「リメインズ 美しき勇者たち」を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引しましたよ。

アメリカに拠点を移す

日本と他国の合作映画への出演も繰り返した千葉真一さん。1992年にアメリカ映画「エイセス/大空の誓い」に出演、それを機に拠点をロサンゼルスに移しました。香港電影金像奨の優秀主演男優賞やサターン賞の助演男優賞ノミネートなど、海外の映画賞にも度々名前が挙がりましたよ。2010年には東京・グランドプリンスホテル赤坂で芸能生活50周年記念式典を開催、様々な芸能人含む各界の大物約600人がお祝いに集い、同記念式典でこれまで出演した260本の映画やドラマが紹介されましたよ。

千葉真一 息子や娘は?

千葉真一さんは1975年に長女、真瀬樹里さんを、1996年に長男の新田真剣佑さんを、2000年に次男の眞栄田郷敦さんをもうけています。真瀬樹里さんの母親は「キイハンター」で共演した野際陽子さんですが、眞栄田 郷敦(まえだごうどん)、新田 真剣佑(あらたまっけんゆう)母は1996年に再婚した一般女性です。その一般女性とも2015年に離婚していますが、千葉真一さんのお子さんは皆、千葉真一さんと最後まで良い関係であったようです。

【コメント全文】新田真剣佑、結婚を発表 父・千葉真一さんの誕生日に報告(日テレNEWS) – Yahoo!ニュース

最後に

今回は千葉真一さんの生涯について紹介しました。

日本の芸能史に残る名俳優の千葉真一さん。彼が出演した数々の名作は、これからも多くの人に愛され続ける事でしょう。